「ママ、さよなら、ありがとう」 池川明  (心拍確認後の稽留流産②)

   

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(ちょっと遡って書いています)

流産に関する記事です。苦手な方はご注意ください。

「ほぼ流産宣告」をされた日を含め3日間ほどは、私は心身ともに酷い状態だった。

宣告された次の日は仕事で、休んでも許されると思ったが、上司にちゃんと目を見て状況を話さなければならないという、よくわからない義務感のため出勤した。

ところがその上司は休み!なんてこった。

というわけで上司よりも若干立場の低い上司(ああ、なんてややこしいんだ。役職名がないから)に報告。

少し苦手な上司だったが、とても優しく話を聞いてくれた。

泣きながら話す私にティッシュを差し出す。

私は産婦人科で泣かなかったため、この苦手な上司がティッシュを出してくれた最初の人だ。

家でも夫の前で泣いた気がするが、ティッシュはいつでも目の前にあり、いつでもセルフサービスだ。

ってそんなことはどうでもよくて・・・

とにかく私は少し苦手な上司の前で泣き、お昼に仕事仲間に流産の報告しては泣き、仕事中も泣き、帰りの電車の中でも上の子の保育園でも泣いた。

私はさぞ酷い顔をしていたことだろう。

お腹の赤ちゃんが亡くなっていても、無くならないつわりのせいでろくにご飯を食べられない。

同僚には私に合わせてうどん屋に来てもらったが、私は基本丸亀製麺の明太釜揚げうどんしか受け付けなかったため、やはり気持ちが悪くなってしまった。

真っ白な顔に涙の跡がこびりついた状態で、私は2歳の娘のお迎えに行き、家事と育児をする。

思いつきで食べてみたコロッケがやはり受け付けなくて、私は妊娠して初めて吐いた。

今までは、自分が倒れないように、お腹の子を守れるようにと、吐きそうになっても無理やり胃に留めた食べ物を、初めて吐いた。

上手に吐けなくて苦しくて、すごく苦しくてまた涙が出た。

今から娘にご飯をあげて、お風呂入れて寝かしつけなきゃ。

私は体調が悪くて娘を遊べない。

もう、いっぱいいっぱい。

お腹の赤ちゃんが元気ならなんとか耐えられたけど、ただただ意味もなく体調が悪い。

もう疲れたなあ・・・疲れたよ。

無邪気に遊ぶ2歳の子を抱きしめて、私はまた泣いた。

そんな精神状態で週末を迎え、私は歌を聴いたりちょっとぼーっとしたりしながら、もっとやるべきことがあるのではないかと感じた。

例えば、本を読むとか。

そうだ。本はいつだって私の味方だ。

流産関係の本を探すんだ。

そう意気揚々と私は本屋に向かったが、目的の本は見つからなかった。

家に帰ってからKindleで本を買うことにした。

そうして見つけた本が、「ママ、さよなら、ありがとう」だ。

この本の著者、池川明さんは産婦人科医で、胎内記憶の研究もしている。

お腹の中の赤ちゃんは、小さい頃から立派な魂をもっていて、母親にメッセージを送っているのだという。

ちょっと内容はファンタジックだし、受け入れられない人もいるかもしれない。

でも、私は救われた。

特に印象に残ったのは以下の5点だ。

①全ての赤ちゃんは、使命をもってお腹にやって来たのだということ

無事生まれてくる赤ちゃんも、流産、死産をしてしまう赤ちゃんもみんな使命をもってこの世にやって来たというのだ。

流産、死産をしてしまう赤ちゃんは、自分の運命を知っていて、それでもメッセージを母親に届けるために、命と引き換えにお腹に授かるのだという。

だとしたら、無駄な命などない。

私は改めてたった8週で天使になった子のことを考えてみた。

私には2歳の娘がいるが、もともと家庭の事情で、娘と4歳差になるタイミングでの子作りを考えていた。

ところが最近考えが変わり、「3歳差でもいいのではないか」と考え直し、あっという間に妊娠した。

思ったより早い妊娠判明に、「妊娠って簡単にできるんだー」という考えが私の脳裏をよぎったのは事実だ。

ちなみに上の子のときは「予期せぬ妊娠」(でき婚ではない)だったため、「なかなか授からない苦労」を私は知らない。

胎嚢、胎芽、心拍確認・・・と順調に進んだため、もう私は産む気満々だった。

ところが、突然の心拍停止・・・。

おそらくは赤ちゃんの染色体異常だろうが、私はこの子は私にこう伝えているように思えてならなかった。

「妊娠、出産って奇跡なんだよ。命って尊いんだよ。私は本当はもうちょっと後にお腹に来るつもりだったけど、お母さんに成長して欲しかったから、成長できない体なのを知っててお腹に入ったの。お姉ちゃんを大切にしてあげてね」と。

あくまで、私の勝手な解釈である。

命に意味をつけることは間違っているのかもしれない。

でも、間違いが証明できないときは、勝手な解釈だろうが、私の都合のいいように考えたいのだ。

とにかく、普通に妊娠して普通に出産できるのは奇跡だ。

この先私が妊娠できるかどうかはわからない。

でも、今回の赤ちゃんを通じて、私は生きている娘をより尊く感じることができた。

例えばこの先娘が人生に悩み、生きている意味が感じられなくなったとき、「生きているだけで十分だよ」と心から言ってあげられる気がする。

②死と向き合うことの大切さ

流産、死産の経験をすると、その辛さからつい目を背けてしまいたくなる。

でもちゃんと向き合うことで前に進める。

私は赤ちゃんを埋葬も火葬もしてあげられないけど、水子供養をしてちゃんとお別れをしたいと思った。

③「生まれ変わり」にとらわれないこと

流産、死産をしてしまった後、再び妊娠するとその子を死んでしまった子の生まれ変わりだと思うことがあるかもしれない。

でも、仮に魂は同じでも体は全くの別人。

別の子として育ててほしいということだ。

それを聞くと、私は宮部みゆきの『模倣犯』という小説を思い出す。

新生児突然死症候群によって死んでしまった姉「ヒロミ」と同じ名前をつけられた弟「ヒロミ」は、姉の幻影にとらわれて苦しんでいた。

そして、それだけが原因ではないと思うが、性格が歪み、ずる賢い同級生「ピース」に利用されて猟奇的殺人に手を染めてしまうのだ。

「生まれ変わった」子どもは、誰かの人生を生きているのではない。

その子自身の人生を生きているのだ。

④たくさんの流産、死産経験者の体験談

この本には池川先生の言葉と同じくらいの分量で、流産、死産経験者の体験談が多く載っている。

それを見ると、私は一人じゃないと思えるし、誰一人としてその経験を「ただ悲しいだけのもの」と捉えていないので、私も前向きになれた。

強くたくましいお母さんたちに感謝だ。

⑤流産、死産も立派なお産だということ

今まで私は赤ちゃんが生きて生まれてくるものだけが出産だと思っていた。

しかし、その考えが変わったのは、この本・・・ではなくドラマ「コウノドリ」を見たときだ。

何話だったか忘れたが、子宮内胎児死亡により陣痛促進剤で赤ちゃんを出産するお母さん。

助産師も通常のお産と同じように「頑張れ」と励ます。

お母さんも汗をたくさんかきながら、「頑張れ、あかりー」と叫び、やがて出産。

先生や助産師は「おめでとうございます」と温かく微笑み、「可愛い女の子ですよ」と赤ちゃんを見せる。

涙なしには見れない素晴らしい回だった。

あれは間違いなく出産だし、お母さんはお母さんだ。

この世にやってきた全ての赤ちゃんは祝福されるべきものなのだ。

そして、流産に関しても、立派なお産。

これはこの本で知ったのだが・・・。

私は手術で意識がないままあっという間にお産が終わったが、術後2日の現在は、長女のときと同じ子宮が収縮する痛みを感じている。

ありがとう、お疲れ様。

私の赤ちゃんは短いながらも天寿を全うしたのだと思う。

流産、死産は信じられないほど悲しい体験である。

でもそれを「どう捉えるか」で前向きにも後ろ向きにもなれる。

無理やり前を向く必要はないと思うが、もし流産、死産の悲しみから立ち直れない人がいたら、「ママ、さよなら、ありがとう」は手にとってほしい一冊である。

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