この作品は、辻村深月さんの本にしては珍しく、猟奇的連続殺人を中心に展開される話だ。
犯人は2人。1人はかなり早い段階でわかるので、「犯人は誰か」はそこまで重要ではない。犯人が語り手の場合も多い。
読んでいると、彼の心情が全くまったく理解できないことも少なくない。しかし、なぜか同情し、泣けてしまう。
簡単なあらすじ
舞台の中心はD大。D大に通う月子たちの周りで連続殺人が勃発した。
それは、iとθ(シータ)を名乗る2人が交代で行うゲーム要素を含む殺人だった。
2人は生き別れの双子の兄弟。iが兄でθが弟だ。θはiとの再会を夢見て殺人を続ける。
「子どもたちは夜と遊ぶ」を読んで思ったこと
これは「アイ」の物語
i、愛、藍…。この話にはたくさんの「アイ」が登場する。愛とは何かを深く考えさせられる話だった。
この物語の答え(もしかしたら辻村さん自身の答えかもしれない)は、「愛とは執着である」といったものだ。
自分以外の誰かに執着すること。全ての人には、絶対に失いたくない絶対に幸せになってほしい誰かが必要だそうだ。それはたった1人でいい。
「執着」と聞くと言葉の重みを感じるが、基本的には私も賛成だ。自分自身にしか関心がない。
誰のことも興味がない。もしそうなってしまったら、人生はきっと色あせたものになる。人は、人の中にいて喜びを感じることができると思う。
私は「1人でいる時間が楽しい」と感じることが多いが、それはきっと側にいてくれる誰かの存在があってからこそなのだろう。
読者と浅葱は見事に騙される
浅葱は登場人物の1人だ。何を騙されるのかは書かない。ただ、確実に言えることは、登場人物たちはそのことを隠していないということだ。
騙すつもりなんてまるでない。紛らわしい言い方をしたり、決定打が書かれていなかったりはするが。
しかし、ヒントはしっかり書かれている。
一方、浅葱は読者と違って物語の中にいる。それなのに気がつかないのは、「気づいているのに脳がそれと認識しない」という奇妙な現象が起きているからかもしれない。読んでみればきっと納得すると思う。
最後に
この話は私にとってとても面白く考えさせられることが多かった。
不特定多数多数ではなく、自分の身近にいる人を大切にしようと思える一冊だった。「最近、誰のことも好きになれない」そんな人に是非読んでほしい。
子どもたちは夜と遊ぶ(上) (講談社文庫) 子どもたちは夜と遊ぶ(下) (講談社文庫)
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