学生時代。
それは誰しもが体験し、過ぎてしまえばもう二度と戻ってこない時間。私たちは卒業して社会に出ると、学生時代に起きたことを徐々に忘れていく。
仮に思い出したくない嫌な出来事を経験したとしても、私たちの意思とは関係なく自然と頭がら消えていく。
感情も出来事も全て。その過程に時間の差はあれど、誰もがその過程をたどり「大人」になっていく。
「太陽の坐る場所」に登場する主人公たちはそうではなかった。
彼らは28歳。高校を卒業して10年目のクラス会の場面から物語は始まる。
この物語は主人公5名によるオムニバスの形式をとっているが、5名の主人公たちはまだ高校の教室から抜け出すことができていない。
なぜだろう。それはおそらく、その場所が彼らにとって必要だから。
28歳の等身大の「高校生」たちが、そこにいた。繊細な感情の揺らぎが5人からひしひしと伝わり、全員の感情に共感することができた。
私も実はこの主人公たちと同世代である。
高校生当時のことを思い出そうとすると、「青春の眩しさ」とか「若さゆえのエゴ」とかいろいろなものが見えてきそうな気がして、どうしても直視できない。
前を向くことは後ろを振り向かないこと。
見たいものだけを見ること。そう無意識に捉えてしまっているのかもしれない。
しかし、この主人公達は過去を直視している。悪く言えば、過去を引きずりそれが現在にも大きく影響している。
でもそれで終わらないのがこの物語だ。全身が痒くなるような過去と折り合いとつけながら、主人公たちは前を向いていく。
前を向くということは逃げることではない。そんなメッセージをこの本から感じた。
また、この物語は読む人の年代によって捉え方が違うと思う。
実際私も、初めて読んだ20歳前後の頃と今では印象が違う。
長いスパンで楽しめる1冊だと思う。買ってよかった。
この本の大きな軸は「高校時代の青春」だと思うが、辻村深月さん流のミステリー要素もふんだんに含んでいる。
「キョウコ」という人物にも注目して読んでみてほしい。
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